【第2話】環境の変化とともにやってきた地獄の始まり

小学校を無事に終えた私ですが、両親からの”大学までエスカレーター式の中学に行けば、あとで楽になるよ”という言葉を信じ、遊びたいのを我慢し受験勉強に励んだ結果、私立中学校に入学しました。

「よし、これで大学生まで勉強しなくていいし、青春を謳歌するぞ!」っと思っていた私でしたが、

不幸なことにその学校に全くなじめませんでした…。

その学校は、小学校からの附属組が幅を利かせている、いわゆるお金持ち学校で、それまで公立小学校に通っていた私は、周りになじむことができませんでした。ここでの日々のストレスが、まず吃音に苦しむことに繋がっていた気がします。

そして、私に人生最大の悲劇が訪れます。

ある日曜日に私は当時ハマっていたジャッキーチェンのDVDを家で見ていました。その中に、「よ・よ・よ・よろしくお願いします」。という調子でしゃべる、どもる人が出てきたのです。私は、家の中で、面白がってそれを真似していたのですが、それを見ていた母親に

「そんなしゃべり方やめなさい!!」

と、強く怒られてしまいました。普段、あまり母親に怒られなかった私は、その言葉が強く心に残り、ずっとそのことを気にしていました。

そして、ある日の学校でのことです。詳しい内容はなんだか忘れましたが、授業中に伝言ゲームのようなことをしたことがありました。別に仲良くもない隣の席のやつに付き合うことも無かったのですが、私を挟んでとなりのやつに伝言を繋げたかったらしく、渋々付き合いました。すると、どういう訳か、言いたいことが口から出てこないのです!さっき聞いたワードをただ伝えるだけなのに、どう頑張っても、その言葉が出てきません。結局「お前何言ってるかわからねえよ!」と馬鹿にされ、恥ずかしい思いをしました。

その症状はその時だけにとどまらず、その日を境に私は上手く声が出なくなってしまったのです

それからの毎日はまさに地獄でした。マクドナルドで食べたいものの注文ができない、美容院の予約電話はかけられない、授業中に当てられても答えられない(答えはわかっているのに!!)また、授業中の本読みなんかは地獄です。だって、読もうとしても声が出ず、周りからは「ひらがなが読めないバカ」と思われてしまうのです。まさに、公開処刑でした。そもそも、自分の名前も言えなくなってしまい、まともに日常生活が送れなくなってしまいました。

当時の私は不安でたまりませんでした。日常生活の不便だけではなく、自分がなにか得体のしれない病気にかかってしまったと思いこみ。「自分は死ぬのでは?」という恐怖に怯えていました。

自分を苦しめている病気の正体を知るべく家にあった家庭用の医学事典を必死で探した結果、これは吃音症という病気だということが分かりました。しかし、そこに書いてあった文面に私は目を疑いました。”治療法が確立されていない”…。え?じゃあ治らないじゃん!と絶望したことをよく覚えています。

そのうち治るかも!と毎日考えてましたが、中学校を卒業するころになっても、私の吃音症は治りませんでした。

次の話【第3話】吃音をごまかして過ごしていた青年時代

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です